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すべての経験は、建築の道へとつながっていた(2)

あやうく開頭手術されそうになる

国士舘大学の工学部で土木工学を学んでいた学生時代、僕はある不思議な体験をしました。

あれは大学2年生の冬、ピザのデリバリースタッフのアルバイトをしていた時のことです。当時のピザ店は「30分以内に届ける」迅速さを売りにしていたこともあり、僕たちスタッフはいつも時間に追われながら、キャノピー付き3輪スクーターを走らせていました。

その夜もまた、僕は急かされるように一方通行の裏道を飛ばしていましたはずです。というのも、その時の記憶が無いのです。

僕は体を叩きつける冷たい雨で目を覚まします。気がつけば、冷え切った地面の上に横たわっていました。自分の体の状況から、どうやら左側面から一時停止を無視した4tトラックに激突されたことを理解します。

 「ピザを届けなくちゃ」と立ち上がろうとする僕。しかし体が動きません。頭が割れるように痛い。痛くてたまらない。

遠くから聞こえる救急車のサイレンの音がだんだんと近づいて来ますが、裏道すぎて辿り着けないのでしょう。野次馬たちが救急車を呼びに走ります。僕はただ、冬の雨が容赦無く体を叩きつける中、その声が響くのを聞いていました。

事故現場は世田谷区の経堂でしたが、救急車で新宿区の東京医科大学に運ばれます。左側頭部裂傷と、右肩を三か所骨折していたにもかかわらず、あいにく救急処置室が空いていない様子です。とはいえ一刻も早い手当が必要だからでしょうか、なんと廊下で左側頭部の裂傷を麻酔なしで縫われることに。やっとの思いで縫合が終わり、このまま入院かと考えたのもつかの間、東京医科大学には病床の空きがないとのことで、今度は練馬区にある田中脳神経外科へと運ばれました。

深夜を過ぎた病院のベッドの上に僕はいました。当直のドクターが言うには、「頭蓋骨線状骨折」。どおりで頭が痛いはずです。さらに肩も3カ所ほど骨折していました。

「ご家族に連絡するから」と、ドクターから電話番号を教えるように促されます。けれど家族に知られることは絶対に避けたかった。こんな夜中に呼び出して、両親を心配させる違わけにはいかないのです。

僕は頑として連絡先を教えませんでした。「教えて」。「教えない」。押し問答が続く中、いつの間にか気を失う僕。ふと眼が覚めると、どうやって調べたのか、いつの間にか両親と親戚が宇都宮から駆けつけていました。

「勘弁してくれ。もうすぐクリスマス。もうすぐ正月だというのに。冬休みの計画も立てていたのに。僕はもう死んでしまうのか?僕が死んでしまった、親はどんなに悲しむだろうか。なんでこんな目に合わなくちゃならないんだ」。いろんな思いがグルグルと回り続けます。

「どうかこれが夢であってくれ」うつろな意識の中で、僕はそう祈り続けます。しかし痛さに耐えきれず、いつの間にか意識を失ってしまいました。

次の日の朝、目を覚ますと昨夜とは別のドクターの担当に変わっていました。おそらく専門医でしょう。頭蓋骨のレントゲンを見るなり、「これは線状骨折じゃなくて、X線フィルムのキズだね」。そうドクターがつぶやきました。誤診だったのです。危うく開頭手術されるところでした。頭を強打していたものの、骨折はしていなかったのです。「願いが通じた」。僕はドクターの言葉を聞き、ただただほっと安堵しました。

そして不思議な能力が覚醒した

この事故をきっかけに、不思議なことが起こり始めました。目の前の相手が言わんとする本意が、手に取るように理解できるようになったのです。頭がものすごくクリアになったような、不思議な感じでした。

その効果はテストでも冴え渡りました。いま問いている設問にどう答えれば良いのか。引っかけ問題なのか。それとも素直に答えるべき問題なのか。どう解答すれば良いのか。出題者の意図を直感的に読み取ることができるようになったのです。

大学卒業後は、国際土木コンサルタント企業に就職しました。ですがすぐにその会社は、大手空間情報事業会社と合併します。設計部門だけでも1,000人ものスタッフが在籍する、国内有数の企業です。僕も建設コンサルタントとして北関東自動車道の設計などに携わりました。

僕は仕事に取り組みながら、業務に必要な資格取得を目指しました。そしてまず社会人3年目で、一級建築士に合格し、その後も測量士や住宅性能評価員など、建築や設計に関するさまざまな国家資格に挑みました。試験はどれも難解でしたが、どういうわけか一発で受かりまくり、気がつけば10以上の国家資格に合格していました。

どう考えても、あの事故で得た不思議な力のおかげです。今振り返っても、とても奇妙な数年間でした。けれどその感覚はいつの間にか消えてしまい、残念ながら今は「普通の人」に戻っています(涙)。

導かれるように設計の道へ

就職してからわずか5年の間に、会社は何度も合併を繰り返しました。まだM&Aが珍しかった時代です。親会社が変わる度に企業カラーが二転三転し、多くの仲間たちが辞めていきました。

「僕はこのままこの会社に残るべきだろうか‥」。さまざまな思いが交錯します。

転機が訪れたのは29歳の時。新しい親会社が『早期希望退職制度』を導入したのです。主にベテラン社員を対象とした募集でしたが、僕は自ら制度に応募しました。というのも、申し込んだ社員は、生い立ちや実績、資格などから、資質や潜在能力、人生観などを高精度でスクリーニングしてもらえるからです。それにより自分の適性を見極め、今後どの道へ進むべきかが可視化されるはずです。

スクリーニングで出せれた結果は、意外にも「建築士として父の後を継ぐ」ことで、自身の適性を最大限に伸ばせる、というもの。自分でも驚くべき答えでした。

しつけが厳しかい父とは、幼い頃から少しばかり距離をとって接していましたし、柔道を始めてからは稽古で帰りが遅くなったこともあり、家で父と顔をあわせることも少なくなりました。さらに大学入学を機に実家を出て以降は、話す機会も自然となくなりました。そのようなことから、設計事務所を継ぐことは全く考えていなかったのです。それでも、心のどこかで建築の道を志していたのでしょう。「一級建築士」の資格まで取っていのですから。皮肉にも『早期希望退職制度』が、認めたくなかった潜在的な願望を露わにし、本当の目標へ向けて背中を押してくれたのです。僕は「父の事務所に入社して、家業を継ぐ」という決断をしました。

僕と妻の間に子供を授かったこともまた、その決断の後押しとなりました。孫ができたことをきっかけに、父と話す機会も増えていきました。そうして少しずつ父との距離感が縮まって行く中で、父の僕に対する厳しい姿勢は、愛情あってのことなのだと気づいたのです…。

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